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第2章◆発展期 /張幹社長から秀一専務時代へ

 
 
「横浜豊商会」開業
   

横浜市中区桜木町7丁目で開業した横浜豊商会は、業務の伸長に従い同5丁目「紅葉橋」際に移転し、昭和4年2月、現在地と同じ高島町に給油所を移転開設した。数年前から市内均一料金で乗れる「円タク」が登場し、当所が創業した雪見橋際にあった30台規模で営業する横浜小型自動車(古旗頼章社長)などとの取引が始まっていた。創業者の後藤張幹がセールス用に使っていた単車も四輪車のフォード・ロードスターに乗り変えている。社長の車好きは際立っていたようで、当社が昭和44年に発行した社内誌『ゆたか』に社員の安岡久一が一文を投稿した。

――私は豊商会創立35年目の夏に入社した。10年前だった。私がある顧客に当社も創立45周年を迎えましたと感謝の気持ちと共に挨拶をすると、顧客は「42年前、昼間、1時間に自動車がものの5台位しか通らなかったこの東海道にフォード・ロードスターを乗りこなしていた片瀬の後藤さんを、よく見掛けたものだ。とても張り切っていて、俺たちの憧れの的だったんだよ」これを開いた私は、一層の奮起を促された思いであった。――

当時の三菱「コップ印」ガソリンは、赤印の方が黒印より高級であった。高級とはいえ現在のガソリンとは比べものにならないくらい悪臭がひどく、またオクタン価もゴールドガソリンの半分以下ではなかったかという代物であった。質の向上はもっと時代が下がってからである。当時、自動車は精密機械であると同時に高級品であり、需要家は質の悪いガソリンを1度、鹿革の漉し袋で漉してからタンクに注入したようだ。
5年正月、本社前の大踏切の高架化工事が終り、桜木町一高島町間に省線電車(院電)が乗り入れるようになり、東横電車が桜木町乗り入れのため新駅建設工事に着手した。同年4月、のちに専務となる後藤秀一が神奈川懸師範付属小学校に入学している。この当時の横浜市内における主な同業者にはライジンクサン系の神谷三市、若葉町の秋本=小倉石油系、港町の金杉=小倉系、スタンダード系の三橋正次、松影町の松村儀三郎各商店などがあった。